Re: 【短編集】マテチュニク ( No.8 )
日時: 2008/05/18 01:35
名前: Raise

【ざくろの門のカルフィエ】

 ざくろの門は夜明けに最も醜く沈み込む。
 カルフィエは走る。夜明け前というのは、何故かは解らないけれど、走らねばならない。目的地はいつも変わらないけれど、それでもカルフィエは走る。誰もが会釈をする。カルフィエも挨拶の列に加わる。カルフィエは走りながら聖者を蹴飛ばし、走りながら罪人をはたき、走りながら不信の徒を投げ飛ばしていく。
 寺院からは、今日という日のための聖歌が聞こえてくる。カルフィエは聖歌に向けてラッパを吹き鳴らすけれど、寺院の人々には聞こえない。その代わりに、寺院に止まる鳩がみんなロールケーキになってしまう。カルフィエは放蕩者だ。カルフィエは銀色の短髪をしていて、ちっぽけな身体にご自慢のラッパを携えている。
 カルフィエの寝床は路地裏である。カルフィエがどうやって清潔さを維持しているかは知らないが、油汚れでべとついた彼の身体は、夜明けと共に見違えるように輝いている。しかしそれを肉屋の猫が踏みつけ、犬がよだれを垂らし、薬屋の飼うワニに踏みつけられ、郵便屋に蹴っ飛ばされる。カルフィエの走る身体は夜明けの光にもう埃まみれで、生臭い下水のにおいと、神様のかおりを漂わせていた。
 カルフィエは盲目の奴隷を足で引っかける。カルフィエは眠る娼婦に小銭を握らせる。カルフィエは未亡人の形見を奪い取る。カルフィエは安手の神様に見放されて絶望している男に煙草を吸わせてやる。カルフィエは猫の餌を自分のものにする。カルフィエは鼠に自分の指をかじらせてやる。カルフィエは赤子から指を盗む。カルフィエは密夫となる。カルフィエは信徒にもなる。
 万事がそういった具合だから、カルフィエは嫉まれ、愛され、憎まれ、呪われ、祝われた。あるとき、車輪に括りつけられて回転する見世物女が聞いた。カルフィエ。お前は私を助けられるか。カルフィエはそれは出来ないと言った。女は死んだ。
 カルフィエが走るだけで、街は目覚めの時間を否応無しに迎えることとなる。カルフィエが走っているというのに、まだ目を覚ましていない家族の鶏は彼の手中に収められ、あえなく犬猫との朝食に持ち出されてしまうのだった。カルフィエに食べられないように、街中の家族はいつも早起きする。カルフィエの足音が路に響いたとき、既に目を覚ます家族は居ない。そのために、カルフィエはいつも朝は空腹となり、犬猫は彼の指や頭をかじることとなった。そんなときは、カルフィエは溜息を付き、眠り込む。いつの間にか、カルフィエは元通り、神様の匂いをさせたカルフィエに戻っている。
 それでも目を覚ましていない家庭には、カルフィエは鶏を奪うだけではなく、ヘタクソなお目覚めのラッパを寝室にまでやってきて吹き鳴らす。カルフィエのラッパのせいで、ラッパの音を聞いた鶏が牛になり、花瓶がチーズになり、壁がスポンジ・ケーキになり、電球が卵になる。
 カルフィエは朝の奴隷に厳しい。カルフィエはどこから持ち出してきたのか毒蛇を奴隷達の洞窟に忍び込ませ、逃げ惑う奴隷たちをせせら笑っていた。その蛇に噛まれたものは血をみんな蜂蜜にしてしまい、洞窟の中は金の塊のようになってしまった。
 カルフィエは朝の娼婦に優しい。カルフィエは娼婦の家となれば犬をやる。その犬が噛みついたテーブルには本物の金が用意されている。しかしカルフィエはいつも誰にも見られないように娼婦に施しをするので、感謝されたことはない。またカルフィエは娼婦達に憎まれていた。カルフィエは飽きもせず黄金を招く犬を何匹も引き連れ、今日も夜明けの光に走り続けている。
 ざくろの門は昼に怠惰に寝そべる。
 カルフィエは公園の噴水に顔を付ける。木の葉の浮かんだ水がたちまち銀の塊になるが、誰かがどうにかして掬おうとした瞬間に、銀は水に戻ってしまう。カルフィエはせせら笑う。
 またカルフィエはラッパを吹く。これがまたヘタクソで、街の人々はカルフィエにラッパを止めさせようとするが、楽しげに目を瞑りながら吹いている彼の周りには、はちみつの匂いがしていて、皆はすっかり眠くなってしまう。眠り込んでしまった皆をよそ目にカルフィエはラッパを吹き続ける。小銭がカエルになり、チーズケーキがダイヤモンドになり、噴水の水が神様の涙になり、犬がまな板になり、魚が風船になってしまう。
 カルフィエは昼寝を好む。無数の蛇と犬が織る玉座で、童話の王様から威厳を借りて眠り、地獄の奴隷から不浄を借りて夢を見る。カルフィエの夢に合わせて人々は食事のメニューを工夫しなければならない。カルフィエがキュウリの夢を見たならば昼食にはピクルスを出さなければならないし、カルフィエが牛の夢を見たならば、どんなに家計が苦しくあろうとも、昼食にはステーキを出さなければならないし、カルフィエがカエルの夢を見たら、どんなに嫌悪しようとも、昼食にはカエルの丸焼きを出さなければならない。
 カルフィエは昼の料理女に厳しい。怠惰な料理女を見つけると、カルフィエは手首を鎖で縛ってしまう。そうして主人への謝罪の言葉が出るまでレタスで頭を包込んでしまう。時々意識を失ってしまうのもいたが、そうすれば最期、料理女は無数のタピオカになって、全部カルフィエの胃の中に治まってしまった。
 カルフィエは昼の職工に優しい。カルフィエは工場に忍び込む。そしてカルフィエは汗まみれの男達に歌う。カルフィエは歌もヘタクソで、機械はすぐに止まってしまう。その代わりに、男達の汗は見る間にエメラルドの雨になり、床の上に固まり輝く。しかしカルフィエの贈り物はいつも不気味がって捨てられてしまう。それを盗人達がこっそり奪っているのをカルフィエが見ると、さあ大変、カルフィエは街中の長靴をワニに代えて、盗人を袋小路に追いつめた揚句、麻の袋で包込んだと思えば、盗人達は宝石の山に代わってしまう。鳥達が宝石を啄ばむものの、途中で落としてしまい、街中の煙突が詰まってしまう。カルフィエは笑う。
 カルフィエは誕生日を祝う。街の人間全員の誕生日を覚えていて、誰かが誕生日を迎えたとすれば、すぐさま寺院から聖歌隊を引っ張り出し、全ての労働者をかき集め、世界中の呪術師を空から降らせ、盛大な祝福を行う。街の人間は皆労働を邪魔されるのが嫌で、誕生日となればカルフィエから逃げ出そうとするのだけれど、そうすれば癇癪を起こしたカルフィエがまたあのラッパを吹きかねないから、みんなは逃走者を必死で捕まえようとする。それでもずる賢いのは逃げていってしまうけれど、そんなとき、カルフィエはヒヨコを竜に変えて、食べさせてしまう。
 ざくろの門は夜に最も美しく耀く。
 明日への祈りに満ちた寺院に向けて、カルフィエは爆竹を投げようとする。街のみんなは敬虔な信徒達を尊敬しているので必死に止めようとするけれど、カルフィエはそうなると決まって笑い出し、晩飯を皆宝石に変えてしまう。そうすると、料理女がまた駆り出され、家の主人達は宝石を袋に収めるのも忘れ、溜息を付きながら祈りに参加することとなる。
 カルフィエは娼婦にケーキを贈る。娼婦達は皆うろんげな目で見るが、ご丁寧に用意された銀食器で口に運ぼうとする。そのケーキはフォークでひと突きした瞬間に元の姿に戻って皿から逃げ出してしまう。カルフィエは笑い出し、とぼとぼと歩きながら、星の方角に無数の飴玉を飛ばしてしまう。
 カルフィエは夜中にだってラッパを吹く。カルフィエは昼に吹くラッパを練習する。カルフィエの身体は犬猫にひたすら貪られてもうボロボロだが、ラッパはいつだってヘタクソに吹けた。カルフィエは眠れずに居られる街に退屈なセレナーデを吹くけれど、それはカルフィエがサンバにアレンジしたものなので、家具も宝石も食事も人間も皆踊り出さなくてはならない。祭典を見て、カルフィエは静かに微睡み始める。
 カルフィエは眠たくとも、夜の学者達を憎む。夜になろうとも勉学に努めようとする輩に、カルフィエは本を全て鍬に変えてしまう。そうして学者達は星空を羨みながら畑を耕させられる羽目になる。カルフィエも加わる。カルフィエと学者がすっかり土を柔らかくすると、カルフィエは月からたくさんのミミズを呼び、ミミズがすっかり眠ってしまった後には、背中の太陽からたくさんの種を降らせる。カルフィエが歌う。すると種はむくむくと勢い良く成長し、やがて天を衝かん程の大樹となる。それが群を成すわけだから、学者達は恐れを成して逃げ出してしまう。
 大樹の生れる日には、決まって虹色の蜜の雨が街中に降りしきる。と、カルフィエの祭典にはちみつのかぐわしいにおいが漂ってくる。カルフィエはまだまだラッパを吹き鳴らす。どこかで盗人が宝石を拾い上げ、どこかで鶏が明日の早起きに備えて眠っているけれどカルフィエはそんなことは意に介さない。大時代の時計台がカルフィエだけのためにゆっくりと針を動かし始める。街の人間はいい加減踊りに疲れているのだけれど、カルフィエは許さない。虹の蜜が街を染めるが、闇夜がすっかり覆い隠してしまう。そんなときはカルフィエはたくさんの星を花火のように降らせてきて、街中を流れ星の光で一杯にさせてしまう。そうすれば街の人間は自分たちがいかにきらびやかで、甘ったるく、子供じみた衣装に身を包まれているのかようやく気付き、笑い出す。カルフィエも笑う。カルフィエのラッパは終わらないが、しかし、月はまたカルフィエのもとからお別れだ。月が家路に就こうとするとき、カルフィエはばったりと路地裏で倒れ込み、ぼろぼろになった身体を縮め込ませる。同時に街の人間がひとつの巨大な蜜の壺で微睡み始める。カルフィエと人々がざくろの門下で巨大なひとつに混ざり合う。そして子宮がカルフィエの銀髪をまたふさりと排出し、蜜をすっかり洗い出された街中の人間は、祭典のことを忘れて、同じ寝床で眠ってしまう。カルフィエは眠りを愛し、夢を愛する。
 カルフィエは夜の踊り子を愛する。カルフィエのヘタクソなラッパに熱心に踊ってくれるような踊り子には、カルフィエは特別にパンの雨を降らせる。踊り子たちは宝石がいいと言うのだけれど、カルフィエに出来る最高のおもてなしはパンなのだ。カルフィエは踊り子たちをパンの舟に乗せて夜空を渡りゆく。月がこぼれそうになっているのを、フランスパンで受け止めてやる。死にそうになっている星を、踊り子たちに励ましてもらう。やがて踊り子たちが疲れ果てパンの船で眠りについたとき、カルフィエもまた眠り、やはりまたあの巨大な子宮に戻っていく。
 ざくろの門はもう夜明けを待ちかまえている。