Re: 【小品集】イデアリスタ ( No.10 ) |
- 日時: 2008/07/20 00:08
- 名前: Raise
- 【ロイヤルイチゴミルクティー】
頬に冷たいものを感じた。紅茶といちごみるく(既製品)と牛乳が混ざったにおいがふんわりと香って、彼は氷をがりがりとかみ砕く。さっきからずっと、楽しそうに作っていたのだ。夏だから氷を一杯入れたらしく、唇は冬から出張してきたみたいに冷たい。 でもそれが、ちょっと心地よくはある。くそう、悔しい。 「冷たいよ」「暑いから、丁度いーじゃん」「よくないよー」 キッチンからは光のにおいがふわふわしてきて、私と彼は共に笑う。美しくない、夏日。マグカップには、ロイヤルイチゴミルクティー。
まずは、彼のキッチンに初めて入ったときの話。 「ロイヤルイチゴミルクティー」今でもその言葉の感触は忘れられない。ロイヤル(Royal、国王の)イチゴ(苺、strawberry)ミルク(milk、牛乳)ティー(tea、茶)。全紅茶ファンへの冒涜ということはすぐに解った。「飲ませてやろう」 「ロイヤルイチゴミルクティー」復唱。「復唱の後にはサーをつけろー」「いえっさー」彼のキッチンは一人暮らしのものとは思えないぐらいに綺麗で、夏日の下でも体裁を整わせている。けど、いかんせん、シンク横赤マグカップの中身が悪過ぎた。 ロイヤル、イチゴ、ミルク、ティー。 ブリッツ(イチゴ味)を煮て(絵本で見た魔女の薬に似ている)そこにではなくダージリンのティーパック、呆然と鍋を見ている私の前で雪印牛乳をこれでもか、そして赤マグカップの中に、ミルクティー伝統の琥珀色をすっかり忘れ切った桃色なんだか白色なんだかでとにかく大変な光景になってしまっているもの。 「これ、おいしいの」蝉の声。「うん、すごくおいしい」 彼に断りも入れず冷蔵庫を開けた(友人特権発動)。中には、牛乳、ブリッツ、煮干し、大根とニンジン(野菜室に入れろ)、鴨の肉。「今日のごはんどうすんのー」マグカップを無理に手に渡されつつも飲めず、「んー、これで何とかなるよ」「嘘でしょ」思わず口をついてでる、「これで何作るの」「シチュー」「はあ」「鴨シチュー」「はー」「ちょっとブリッツ入れんの」「へー」 渡されたロイヤルイチゴミルクティー、毒々しいピンキーっぷりに何とか勇気を奮い起こした私、ぐいっと飲んでみる。 「どう」 絶対うまいよな、うまくないはずないよな、と言わんばかりに彼が笑顔で聞いてくる。 私は吐いた。ついでに、お昼に食べた神戸屋のカツサンドイッチが出てきた。高いのに。
彼のキッチンにはいつも西日が入ってきて、夏場はきらきらを保ち続けていた。お皿もちょっとお洒落だけど嫌みじゃない、お鍋やフライパンは清潔なのはもちろんやっぱりちょっぴり素敵なの、油汚れなんてものは旧時代の汚点なんてぐらいに思われるぐらい、いつだってぴっかぴっかだった。 彼は料理とお茶が大好きだと聞いていた。知り合う経緯は特に語って意味のあるものでもない(ちょっと幸せになって、ちょっとケンカして、ちょっと泣いて、それでもやっぱりくっついてしまったとか、そんな程度)。それで何だか仲よくなってしまって、「家でお茶でも飲もうか」って言われて、「えー何でー。喫茶店にしようよー」「いいからさー」て来たら、これだった。 ロイヤルイチゴミルクティー。 彼は味覚障害だった。それも、ロイヤルイチゴミルクティー(砂糖大量ぶっかけ)をおいしい、と言う以外は、普通の、どこにでも居そうな味覚の持ち主で、口を無理やり開けて覗き込んでも、そこにはちゃんと桃色のかわらしい味蕾がぷつりぷつりと金魚のひれみたいにふわふわしている。何てこったい。 そのくせ、料理を作ると私より上手で、世の中って理不尽じゃないなあ、とか、神様って絶対公平じゃないんだなあ、とか、ロイヤルミルクティーって言うほどロイヤルじゃないよな、とか、私は世の中の真理をいっぱい知ったのだ。えっへん。
彼は喫茶店の店長をしていた(私は、美大生で、アルバイト)。紅茶がおいしいと評判だった。聞いてみれば、時々はロイヤルイチゴミルクティーを出すのだという。ある日彼にロイヤルイチゴミルクティーをオーダーした猛者が居た。 髪のきれいな女の人で、誰って聞いたら、「元カノ」と言われ、「ちょっとまってそんなの聞いてないよー」と来ると、「あれー」「何それちょっと詐欺じゃないのもーひどいよー」と言ってへこんだ私はとりあえず彼女の様子を偵察、私よりずっと唇がきらきらに輝いていて、光のしずくを全身に浴びながら、時々アダルティにこっちに笑ってきたりして、「ねえねえ、もしかして私のこと知ってるの」と恐る恐る聞いてみると「うん知ってるよー」と冷蔵庫に完備のブリッツを煮ながら、「ちょっとまって何でそんなの言ったの」「言っちゃだめだっけ」「だめだよやっぱそれは、絶対まずいよー」「えー、ただのいい人だよ、何でそんなに過敏反応するのさ」「絶対だめだってばー」同語反復を延々繰り返しながらさてとうとうロイヤルイチゴミルクティーがミントンのティーカップに注がれて(何たる冒涜)彼女のテーブルに届けられる(無論彼の手によって)、さてどうしたものかとじっと見続けていると、敵、ストローに口、「おいしい」まゆ毛が夏日を吸い込んで、肌にはかわいらしい汗の玉がしっとりと転がっている、「やだもー」私は負けたのだ。負けたからには、何らかの罰を受けねばならない。 客はだれも居ない。「あれー、行ってみるの」と彼はにたにた(意地悪い)、敵のテーブルに行ってみて「あの、それおいしいですか」と絶対まずいよね! 何たって神戸屋のカツサンドを胃から引きはがすぐらいだもんね! と心の中で絶叫していると、「あら、どうして。普通においしいじゃない」と、潤った瞳でくすりと微笑、「えーなんでー絶対おかしいー」顔真っ赤にしながら、彼の肩を叩く。 「おまえがおかしい」彼は二杯目のブリック取り出して、「おまえも飲むー」って絶対要らないよ、そんなの、気がつけば外は夏、「夏来訪記念」「だからもういいってばー」敵は美しくもこちらを見て微笑んだ。白のレースのワンピースなんて着こなしちゃって、髪もぼさぼさの彼には、絶対に似合ってない。
それから結構してから、また彼女と出会った。日曜日の図書館で、うつくしい彼女は小さな男の子の手を引いてやって来ていた。このまま声かけないのもまずいよねと思い立ち、メルヴィルの小説を置いて、こんにちわ、と言ってみた。あら、こんにちわ、と彼女は優雅にも言った。彼女もその手にはメルヴィルを持っていて、「何だか、休日に読まないような本よね、どちらも」と、微笑みかけてくる。その瞳に星が見えた。男の子と彼女は、私の隣に座る。 「お久しぶりね。彼、ちゃんと生きてる」男の子は絵本を読みながら鼻歌を歌っている(みんなこちらをちらっと見はするけれども、私は凍り付きながら、彼女はマイペースに気にしない)。「え、あーはい、健康に生きてますよ」「そう、ならよかった」小休止。「相変わらず、イチゴミルクティーとか飲まされた」「あー……はい、相変わらずです」「変わらないのねー」「みたいですねー」 男の子が足を漕いでいる。ふと、その顔に思い立つ。「あの、もしかして」彼女は私と自分とで指を絡めて、そっと笑う。「うん、そうよ」「……あー、そうなんだ。彼ってば、そうだったんだ」うつくしい彼女が手に取れば、メルヴィルも何だかイタリアのロマンスみたいで、悔しい。「わたしもね、彼のことが好きだったんだけどね、別れちゃったの」「どうして」息を吐く、息を詰める。ゆっくりと、音楽的なまつ毛と唇を震わせて、彼女は言う。「男の人が、苦手だったのね。色々と、あったんだ」彼女の指には、傷痕があった。何があったか、聞けるはずなんてない。「そっかー」年上のかのじょとわたしは、彼を中心に宇宙的にくるくると回転してる。「そうなの」「そなんだ」打ち解ける。指を絡め合う。美しい彼女の指は蝶の輪郭を思わせる。砂糖菓子の蝶みたいで、彼女は今にも自分のうつくしさとへ溶け込んでいってしまいそうに見えた。「子育て、がんばってくださいね」彼女は笑う。男の子。私は負ける。「あのね、彼」「はい」黙り込もうとした私に、優しく微笑んで「いちご牛乳紅茶、本当においしいと思っているみたいなの。だから、おいしく飲んであげてね。結構あれで、ナイーブなのよ。ちょっとしたことで、傷ついてしまうの」私は黙る。唇をぎゅうと押さえる。男の子が鼻歌を止める。夏の空がどこかで笑っているのが聞こえる。図書館に光。「そうですか」私はメルヴィルを本棚に、出来るだけ本が痛むようなやり方で、でも他人にはばれないように、入れた。やつ当たり。 宣誓。絶対に、ロイヤルイチゴミルクティーをおいしいとは、私は言わないぞ。
私と彼女が出会ってから、急に宇宙の中心が加速し始めて、彼女が度々彼のキッチンに来るようになった。うつくしい彼女の男の子はやっぱり彼に似ていて、彼は男の子と一緒によく歌っていた。そんなときは私はピアノを弾く(数少ない特技)。みんなが知っている童謡ぐらいわけもなく弾ける。でも、できるだけ丁寧に、彼女と彼、家族的宇宙が子供の夏休みに崩れたりなんてしないように、うつくしく弾いてみる。でもそんなときは、彼女がこっそりと私に指を絡めようとしたりしていて、どきん、としてしまったらもうそれで何も弾けなくなったりして、「続きは」と男の子が言って「続きは」と彼も続く、「忘れちゃったよ」と私、うつくしい彼女の方を見れば「ごめんなさい」と彼女、これはやっぱり、誘われている。
盲腸。ある日彼が救急車に乗って夏の夜のどこか、隅っこの方に落込んでいってしまった。時間と蝉の鳴き声が真夜中のかげろうにぶわりぶわりとぶれているような気はしたが、それでも地図と病院の場所は不変。彼のマンションを出ようとしたら、電話がかかってきて、彼女だった。そのときばかりは、彼女に感謝した。 男の子は、車には居なかった。私は彼女に聞いてみる。 「あのひとのこと、今も好きですか」 彼女は美しいまつげ、瞳、肌、すべての夜の美しさをも吸い込んで、 「ううん、好きなのかどうかもわからない。ただ、あの子のお父さん、だとは思っている。わたしも、前も言ったけれど、男の人は苦手だから」 空っぽの道路をそのまま進んでいって、本当に病院に辿り着けるかどうか解らなかった。 「ならどうして、彼のところに行くんですか」 私も気が急いていて、ついそんなことを言ってしまった。言ってしまえば、後は悪意のスプリンクラーがばんばか弾け出して、 「そんなに彼のところに来ないでください、来られたら私は辛いんです、あなたは良くても私は辛いんです、あなたの子供なんて知らない、わたしは彼の恋人なの、あなたが何であろうと、彼が誰のお父さんであろうと知らないの、もう来ないで、来ないで」と、叫ぶつもり、でも声は小さくかすれて。 それで、それから、泣いていた。ずっとずっと、泣いていた。 車が、止まる。静謐に蝉。 「あなたが、好きなのよ、ひとつは」 彼女は、うつくしい。私は、そんなにうつくしくない。彼女の傍にいれば、私は日陰者だ。彼女はロイヤルイチゴミルクティーを飲めて、彼の子供をきっちり育てていて、知的で、光に満ちていて、夜でさえ彼女のうつくしさにはひれ伏して、そして私はぼんやりと宇宙の海図から離れそうな心持ちさえして、男嫌いの彼女は、私の涙をそっと舐めた。彼の舌と負けず劣らず、ロイヤルイチゴミルクティーよりずっと濃い桃色をしていた。味蕾でさえも、うつくしかった。
彼の病室に辿り着いたとき(彼女のコネやら何やらで、何とか面会させてもらった)、「よーっす」と言われてわたしは、今にも帰りたくなったけれども、彼女のうつくしい指が首筋にひやりと触れていたから、「しんじゃえー」としか言えなくなって、光の唇が薄暗い病室であってもやわらかに微笑んでいるのが見えて、ああ、怖いなあ、と思いながら、彼のところに泣きついた。
盲腸の手術が終わり、夏も真中程を大急ぎで駈け抜けていったころ、彼女とその男の子が失踪した、という連絡が、彼のもとに両親からやってきた。彼は顔を真っ青にして泣いた。「ごめんなさい」と言っていて、ものすごく、ものすごく、情けなく思った。「何で謝んの」「何か、俺が、たぶん無神経なことしたから」 私は彼を蹴った。思いっきり、蹴り上げてやった。「ばか」「何で」「ばかだから」「何で」「ばかだからっ」「だから何でっ」「追いかけなよっ、探しなよっ、お父さん、ばかな父親、ばかな子供、ばかなお母さん、ちゃんと見つけてきなさいよっ」 ばかばかばか。ばかばーかばーかばーかばかばかばーかばーか。 泣いても泣いても、とめどない、というやつで、わたしはその日、彼が彼女たちを探しに行ってから、清潔なキッチンでロイヤルイチゴミルクティーを飲んだ。 やっぱり、おいしくなかった。
彼女と子供は、すぐに見つかった。居なくなったと「どこかに行こうと思ったけど、やっぱりどこにも行けなかったの」後々の喫茶店で、彼女は子供の手をやさしく握りしめながら言った。私にも、やさしく微笑んだ。やっぱり、彼女はうつくかった。「どうしてだと思う」彼女が誰に微笑んだかは解らない。 ただ、空と大地に宙ぶらりんになった男の子だけが、私にきらきら笑っていた。
頬に、冷たいものを、また感じた。紅茶といちごみるく(既製品)と牛乳が混ざったにおいがふんわりと香って、彼は氷をがりがりとかみ砕く。 「えー、またー」「よくある繰り返しだよ、ただのてんどん」「それ用法違う、たぶん」「えー」 夏空は遠い。キッチンからは光のにおい。 「出来たわ、飲んでみて」 声が聞こえた。はーい、とふたり。二杯目であっても、彼は全然嫌そうな顔をしない。憎いぞこのやろー。 テーブルにはもう男の子が嫌そうな顔で座っていて(気持ちは解るぞ)、彼はすごく幸せそうな表情で(ああ殴りつけてやりたい)椅子に座り、彼女もやっぱりうつくしい光を唇に湛えて、「おめしあがれ」、いやいやおいしく召し上がれたらそれは私としても嬉しいかぎりだけれど、男の子と私は共に悲しい視線を合わせて、ごくりと喉を鳴らす。彼と彼女はもう飲んでいる。 負けてられない。ごくりごくりごくり、と飲み干した。 「ぷはー」私の味蕾に、紅茶といちごみるくと牛乳。「うまいぞー」 夏の光が、ふわりふわりとリボンを結って、遠い宇宙を飾っていった。
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